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 言霊学復興に尽くした諸先輩百年間の仕事について

 

 

五千年余りの長い間、人類の第一精神文明時代の歴史創造の原器であったアオウエイ五十音言霊布斗麻邇の原理は、今より二千年前、政治への適用が廃止され、社会の底に隠没した。神倭皇朝第十代崇神天皇の時である。以来日本は、世界の中の日本も、日本自体の日本も、日本らしからぬ日本となった。日本の暗黒時代の始まりであった。

 

千九百年の時が流れた。ヨーロッパに於て物質科学の研究のメスが物質の先験構造内に入り、原子物理学が世界の脚光を浴びようとする時、あたかも東西呼応するごとく、日本の朝廷の中に、ささやかではあるが一つの画期的な研究が始まった。明治天皇御夫妻による言霊布斗麻邇の学問の復興のための研究である。先師の師、山腰明将氏より伝わる話によれば、それは明治天皇にお興入れした皇后様のお嫁入り道具の中に、三十一文字(みそひともじ)の和歌の作り方を書いた古い書物があり、その中に日本固有の和歌と言霊との関係が記されていたという。すると天皇がたしか賢所に古事記と言霊に関する書物があったはずだ、といわれ、ここに古事記神話と言霊布斗麻邇との関係を探る端緒が開かれたのだという。

 

明治天皇御夫妻は、その時皇后と皇太子(大正天皇)の書道の先生であった前尾張藩士、山腰弘道氏が国学者でもあったことから、この山腰氏をお相手として古事記神話の謎ときの研究を進められたと聞いている。

聞き知るはいつの世ならむ敷島の大和言葉の高き調べを(明治天皇)
敷島の大和言葉をたて貫きに織る倭文機(しずはた)の音のさやけさ(昭憲皇太后)

上の明治天皇御夫妻のお歌を拝読させて頂くにつけて、御夫妻が日本固有の言霊の学問に日本の将来の希望を託されていられたかが想像されるのである。

 

二十世紀を通して原子物理学は物質文明の中の大道を歩み、良いにつけ悪いにつけ、物質文明の中にその大きな花を咲かせることとなった。一方、精神の先験の学である言霊学は明治天皇の死後、朝廷の中より野に下り、その足取りは波瀾万丈の世の移り変わりの底にその研究の一歩々々が進められることとなる。

 

明治四十五年、明治天皇崩御。言霊学復興の仕事は大正天皇には伝わらず、明治天皇御夫妻の学問のお相手を担当した山腰弘道氏に託されて民間に下り、弘道氏の死後、その二男明将(めいしょう)氏に継がれた。氏は陸軍の軍人であり、最終の位は陸軍中佐であったと聞いている。氏は軍職の傍ら言霊学の研究を進め、主として音韻学に基づいて古事記による五十音言霊の整理・解説に当ったように思われる。「思われる」と書くのには理由がある。氏の死後、氏が遺した研究資料は膨大なものであったが、火災によって焼けてしまったという。後を継いだ者がその資料を見ることが出来なかったのである。今、私の手許に山腰氏が遺したただ一冊の「言霊」という名の書物がある。昭和十五年、第二次大戦勃発(ぼっぱつ)の前年、軍の中枢の意向「開戦となれば必ずしも我方優利とは思われない。神風でなくとも、日本古来の精神的神風となるようなものはないか」ということで山腰明将氏奉ずる言霊学に白羽の矢が立ち、当時の東京築地の海軍将校のクラブ(水交社)に皇族、陸海軍の大将・元帥、国務大臣、警視総監等々が集合する前で週一回、十週にわたる「言霊」と題する講義の速記録である。速記者は私の先師、小笠原孝次氏。十回にわたり堂々たる講義ではあったが、音韻学による解説では言霊学の真意は皇族を始めとする日本の上層の方々の理解を得られず、遂に日本は米英相手の大戦に突進したのである。

 

敗戦直後、師とその研究資料を共に一瞬にして失った先師小笠原孝次氏は一ヶ月間もの時をまるで死人の如くに送ったという。教えてくれる山腰氏既にこの世になく、受け継ぐべき研究資料も失ったと知っては、後継者の悲歎は当然である。けれど先師は奮然と立ち上がった。『日本の、そして世界人類の将来の鍵を握る人間生命の真理がこれしきのことで無に帰する筈がない。古事記が人間の心と言葉の究極の書であるというなら、生きている自分自身の心の内容を見つめて行くならば、呪示であり、謎々として説かれている古事記神話を現世の「心と言葉の真理」として解き得ないはずはない。』

 

この事件が言霊学復興と研究の転機となった。古事記神話の内容を起点として言霊学の復興の事業が、他の宗教書や哲学書の経験知からの類推ではなく、正に生きた人間自体の心との刷り合せによる真実の仕事が始まったのである。先師の東京は多摩川の河川敷における坐禅が始まった。来る日も、来る日も、一日の休みもない坐禅の日々が二年間近く続いた後、師は「色即是空、空則是色」を何の理屈もなく分ったという。古事記神話の冒頭の文章、「天地の初発の時、高天原に成りませる(あめつちのはじめのとき たかあまはらになりませる)……」の天地の初発の心の状態と内容を自分の心に見出したのである。古事記の神話が説く「天地の初発(あめつちのはじめ)」が、私達の眼前に広がる物質宇宙の話ではなく、私達人間の心に何も起こっていない処から何かの出来事が始まり出す「今・此処」なのであることを、御自身の心で証明したのである。昭和三十年(一九五五)少し前のことと先師のパンフレットに見ることが出来る。古事記神話の呪示解明の仕事はその後順調に進んで行ったのである。

 

言霊学を求め、先師の門を初めて叩いたのは私が三十七才の時(昭和三十七年・一九六二)であった。先師の言霊原理自証の作業は更に進んでおり、その神話解明の解説は一点の誤解も許さない厳粛なものであった。言霊学が人間生命の学として最初の解説書となった小笠原孝次氏著「古事記解義言霊百神」が世に出版されたのは昭和四十四年(一九六九)である。世の人々を動かす自証の現代語で書かれた初めての言霊学の解説の冒頭、先師は「言霊の冊子が出来たんだ 出来たんだよと大空に叫ぶ」と本のはしがきにその喜びを書いている。

 

私は先師の薫陶(くんとう)を二十年に渡り受けることが出来た。私が五十七才の時、先師は後事を私に託してなくなられた。七十九才であった。先師はなくなる前、「私の言霊学の自証の作業は言霊百神の八十番目、飽咋之宇斯能神(あきぐひのうしのかみ)まで終わった。あとは貴方の仕事だ」と言われた。爾来二十五年、明と暗、光と影の間を往き来する言霊学自証の仕事は続いている。誰も教えてくれない。けれど暗から明への転機のささやきは、そのヒントを誰からも受けることが出来る。自証の道は、最後に暗と影が消えて今・此処に躍動する言霊の光の言葉が発せられて言霊学の総結論「禊祓」の業は此処に完結する。先師から託された古事記神話解明の作業、第八十一神「奥疎神(おきさかるのかみ)」より第百神、「須佐男命」までの神話の解明は既にその九十五パーセント以上を終了している。

 

以上、言霊学復興に尽くした諸先輩百年間の仕事について語った。

「島田正路氏 会報223号(H19.1.10)より抜粋」

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